about ルイシア・ラアトス

自創作、『ハンドメイド・オーディエンス』が完結したのでその話。

というか自創作を通した自己分析をしているだけ。

自創作について好きな事を好きなだけ話す場です。後書きみたいなもの。

最終話出した直後の自分の楽しさを記録することがメインなのだなという感じでご覧ください。


[イラストは完結記念のにこにこしたルイシア。Twitterにも載せたやつ。]



6月1日から小説を公開していって、本日6月10日に完結いたしました。短編なので他に自分が展開している創作よりも文字数は少なめですね。

書き上げたばかりの頃は、結局何が書きたかったんだろう……ルイシアって別にいい人じゃないよな、はてな、と思ってましたが最近になってなんだかようやくそれがうっすら分かって来たなあ……みたいな話。

私は、創作を作って書いたりするときは楽しけりゃいいやって感じで目的とかあまり考えないんですけど、でも次第に何かしら乗って来るというか。書いてる間には分からないけどあとから見直してみると、割とその時の自分の精神状態だとか思想だとか分かって楽しいなあ……みたいな。


要するに創作が自分の鏡みたいみたいなものなのだなと思う。


自分ではない他の人の創作を見ていても、キャラに言わせたセリフなのだけれどそれを作っている人自身が透けて見えるみたいな(まあ私の思い込みだとか幻かもしれないけれど)、そういうものが垣間見えた時にものすごく楽しく思える。

ここでしたいのはそれの自分バージョン……的な何かの話です。端的にいうと自創作を通した自己分析。


ハンドメイド・オーディエンスではとりあえず『約束は大事だね』みたいなものが前方には出ているんですが私はルイシアほど多分そう思っていないなという所がありまして。じゃあ結局何が書きたかったんだろうと、書き終わって今更ながら考えてみると、多分それなりに嫌な奴でもなんだかんだ死なずに生きてるんだよな、みたいなことだと思う。

ルイシアはその世界の中でそれなりに嫌なやつ(結末といい、犠牲を出した割には無意味だったとか)。それでも多分生きていくんだよな、みたいなことを書きたかったのかもしれない。小説に出てきたのは彼女の人生のほんの一部なのだろうなということも踏まえると尚更。

ハンドメイド・オーディエンスをルイシアではなくシーレトロフィを主人公にしてたらそれはそれで全く別の何かになりそう。シーレトロフィから見たらルイシアはただの馬鹿にしか見えない気がする……。

あともう一つ、自分で既に決意した予定を曲げられない、でも曲げないままだと悲しい結果になるのは分かってる、でも曲げられないんだ……みたいな不器用な人間を書きたかったもかもしれない(不器用というかただただ愚かな人間なのでは……)。

これに関しては自分がそんなところがあるのでそれが影響したとしか思えない(今やってることが意味ないとしてももったいなくてやめられない、みたいな。恐らくこれがコンコルド効果……知らんけど)。

これから何か月か何年か経った後に見返したらまた何か新しい発見というか、もっと冷静に自己分析出来たら楽しいだろうなと思う。創作を通して自分を見るのが好き、というのを何年も何年も繰り返しているだけなんだろう。創作超楽しい。以上。


そう言えば最後、あの二人は一体何の約束をしたんでしょうね?多分一生叶わないような願いだと思う。


創作楽しいね、創作複数持ちタイプの人間なのでまだ出していない創作とかも自分のペースで出していけたら良いな。

以上、『ハンドメイド・オーディエンスが完結した話』でした。


ハンドメイド・オーディエンスを読んでくださった方々、本当に感謝です。嬉しい。