文学的パソシ

最近noteやら何やらで人様の日記を漁るのが趣味になっている(以前からそうだけれどこの頃顕著)。とりわけ文学的な感じで書かれていて本当にその人の日記なのかあるいは想像で描かれた話なのか絶妙に分からん境界にあるやつ。ああいう文章にそれなりに憧れがある。

なんというか、きっとその人の日記なんだろうけれど(『実録です』だとか『今日の日記』とか『○○レポ』とか書かれているし)でもあまりにも表現がきれいすぎてどこからが嘘なのかとても気になる。この人はこんなきれいな世界に生きてるんだな……いいな……とまで思う。汚さですら綺麗な表現なので感嘆しまくり。でも生々しさがあって「あ~現実だな~」とも思わせられる。そう、汚さがきれいで生々しい。雨上がりの水たまりの隅で泥遊びをしている無邪気な子どもがいて、その上には虹がかかっている……みたいな美しさ。同じ世界に生きてるはずなのに表現が違うだけでとてもきれいな世界に生きているような気さえしてくるのでなんだか不思議。自分もそんな綺麗な世界で生きてみてえよとここ数日毎日のように言ってます。

つい最近新しく書こうと思っている小説(実は四年くらい前から書いていて結末までの半分くらいまでは書けているけれどそれはアナログ原稿だったので、今回打ち込み兼大きめの修正を入れつつ書こうと思っている小説(現段階ではまだ本格的に着手していない))があってそれを書くため色々云々悩んで修行をしようという気になった。それが10月終わりの頃。順序的には修行をぼんやり考えていて、そこで文学的な感じの日記を読み漁って実際にやってみるかという気になったという流れ。小説をけっこう長い間書いているけれどこんな修行したいなんて気持ちになったのは初めてだった。


そこで考えて『二十四色のパンツを題材に書くか!』となった。自分のどこから湧いた発想なのかは不明。ただ『パンツ』だなんて単語は絶対に自分の文章の中に入れたくなかった。気持ち悪い。下ネタが無理な人間というわけではないんだが自分が言う分にはやだな……と思う(なんだこの潔癖さは……)。自分でコンプレックスを自虐する分には良いけれど他人には言われたくない、みたいなやつの逆。他人は良い、ただ自分は自分を許さん。この文を書いているときでさえ抵抗がある。タイピングが遅くなる(あまりにも耐えられないので以下、『パソシ』と呼称)。

自分の書きたくない単語みたいなのがいくつかあってそれをぶっ壊すためにも『パソシ』をチョイスしたんだと思う。パソシ。要するに変なしがらみを壊して新しい道を切り開けというアレ。パソシを書いて成長するってなんだ。変態か。

とにもかくにもパソシだ。パソシを書く。二十四色のパソシで二十四本の短編を書く。

修行の具体的内容としては、まず二十四色色鉛筆の中から一色をチョイス、その色のパソシをテーマに小説を書くというもの。現在『黄緑』『山吹』『群青』までは書けた。白、黒、ピンク辺りは難易度が高そう。終わりは二十四色コンプリートした時。目的は風景描写の上達……みたいな曖昧なところ。

数日前から始めていて、出来るだけ毎日~というくらいの気持ちでやっている。不思議なことにちゃんと話が思い浮かんでくる。自分は変態だったのかもしれない。

一日目が確か54分くらいでできたのでそれなら(見直し一回を含めて)一時間以内に仕上げるかということになった。文字数はパソシ一色につき千文字くらい、と最初に決めていたけれども、自分で一万字くらいと決めていたところを二万字になったことがあるような奴なので安定の文字数オーバー。でも二千字に行っていないだけまだ良しとしましょう。よし。

このサイトでは二十四色そろった時に公開する予定なのでそれまでは以下のリンクからどうぞ。11月7日現時点では『黄緑』『山吹』『群青』の三色を出しています。それぞれ独立した短編なのでどこからでも読める。あとパソシパソシって言ってるけど汚い話には走っていない(主観)。ラノベとも多分若干違う。ラノベでよくあるようなパソシ描写とは多分全く違う。パソシは片手に握っているだけ。ふんわりパソシ。何かお気に入りのパソシがあれば拍手かましゅまろ(ましゅまろは引っかかるか……?パソシって書けば多分大丈夫……?)で感想を飛ばしてくださいな(強欲)。

あと二十一色パソシる。


二十四色のパンツ‐入宮よつり