完結の時点


この記事は2023年5月18日に書いたものです。


この記事をずっと書こうと何度も頭の中でシミュレーションしてきたはずなのに意外と手が動かなくて自分でも驚いている。手が動かないということは、自分が書きたかったことは本当は嘘ということなんじゃないかと思ったけども、まあ書かなきゃ終わんないし始まらないのでとにかく書く。そもそもこのブログ自体、3割はフィクションと謳ったし。


最近全然小説を書かなくなった。

最近マジで全然小説を書いていない。空に月なんてもういないが完結したからそれのロス的な物かな、とも考えてたけど、いくら何でもここまで小説に手を触れていないのは今までにない。忙しい時期に意図的に半年ほど小説を書くのをやめていた時期もあったけど、それ以外でこんなにも長く小説を書いていないのは久しぶり……どころか初めてだと思う。

でも空に月なんてもういないが完結して以降、小説を全く書いていないというとかなり嘘にはなる。1月には別のシリーズの小説を書いていたし(1月以降に手を触れた覚えがないけど)、記事はいくつか書いていたし、表立って公開していないだけでつい数週間前に2万字くらいの短編を書いた。

しかしネット上のどこかとか、とりあえず人目につくところに公開するという作業を空に月なんてもういないが完結して以降久しくしていない。要するに誰かに見える位置においていいかな……と自分が満足する量にまで至っていない。今まで生理現象みたいに文字を書いて、打って、書いて、打って、という作業をしていたのに、今は生理現象みたいに書いて、打って、ということをしていない。ついでに言えば前ほど絵も描いていない。


もう昔みたいに熱中できるほど子どもではなくなったのかなとか、つまんねえ大人になってしまったかとか思った。そしてそれをあんまり認めたくなかったのでこの問題にあまり目を向けず、気付けば半年が過ぎていた。半年。でも認めないと何も始まらねえよな。じゃあ認めるとするか。


もう自分は完全に小説だけに縋るほどつらくなくなったし、今まで小説が沢山書けていたのはそれが一種の救済の過程であったからであり、そしてこの救済とやらはもう終わった!

事実認定終了!以上!閉廷!


物語的にいえば自分は『完結』の時点に立ってるんだろうなと思う。マジかよ。一応今のところそんなすぐに死ぬ予定はないので色々語弊がある気もするけど(というか『完結』と『死』はそもそもイコールではない)、でもとりあえず『完結』の時点に立っているんだろうなと思ってしまう。それくらい今の自分があっさりしていて平和で穏やか。最近、余りにも日常が穏やかで平和すぎて「これ何かの死亡フラグみてえだな」と思うことがよくある。全部死ぬ前に神様みたいな誰かが見せてくれている平和で穏やかで最高の幻覚なんじゃないかなとよく思う。いわゆるライフイベントが身近にあったわけではなくただただ穏やかなだけなんだけどそう思わずにいられない。今、フラグ真っ只中なんじゃないのか??


ほんの数年前までは「小説を書いていないと生きていられないしこれを取り上げられた瞬間死ぬな……」とか本気で思っていたのに、今はこれを手放しても生きていけることがそれとなく分かってしまった。それが分かった瞬間は悲しかったし嫌だったけども、それが事実なら認めるしかないか。きっと自分はこれなしでも生きていける。そして思っていたよりもそれは悪いことではなくて、良い方向へと向かっている証拠なのだと思う。


最近そこそこでかい地震が多いからビビってるんだけど、そういう何かがあった時に自分もあっけなく死んでしまう側だよなと思う。中学生の頃だったらそうは思わなかったんだけど、最近はその自覚をすることが多い。要するに厨二から脱却しかけているのかもしれない。知らんけど。気のせいかもしれないけど。


自分語りが続きすぎて若干恥ずかしい気もしてきたけど今更何言ってんだと正気ならぬ狂気を取り戻してまだ続きます。


出かけるようになりました

この頃、出かけることが多くなった。

コロナの影響もあったかもしれないけどマジで外に出ないタイプだった。そもそも電車が苦手だった!

慣れない所に電車で行くのが苦手すぎて電車に乗ると毎回腹痛になっていた。知らない店に行くのもかなり苦手だった。人とどこか慣れない場所に行く時は「腹痛だけはやめてくれよ」と毎回祈っていた。

でもこの一年、バンジージャンプをしに一日にバスが三本しか来ない辺境まで行ったり推しのライブを見に行ったり、出かけるようになってしまった。あくまでも予定でしかないけど今後一年で出かける予定を何個か立てている……。推しのライブに行くとか映画を見に行くとかどっか旅行行くとか。あと一日が終わって一旦家に帰ったのに県外まで出かけて何かを買いに行くみたいなこともできるようになった。

今の自分にBGMがあるなら神聖かまってちゃんの「美ちなるほうへ」だなと思う。

内面でも物理的な面でも、動けているような気がする。これは気のせいじゃないと良いな。


おわり

小説をもう生理現象のように書けないのが悲しい、でも出かけるようになった、あと本がまたちゃんと読めるようになった。

それとこの記事は人生で初めて日常をサボって書いている。体調不良で休むことはあってもサボったことなかったのにね。今更サボりを覚えた。

きっと全部良いことなんだろうなとは思う。でも少し悲しくもある、普通に。

小説だとか絵とかこれからも趣味で書くとは……思うけども、でもそれに向き合う内面的なスタンスはかなり変わるだろうな。

それでも、これから好き勝手歩いてどこにでも行こ!