耳と音楽 その3

『耳と音楽』というタイトルで二年前に記事を書いた時は、まさかこうして毎年くらいのペースで『耳と音楽』という記事を更新していくなんて夢にも思わなかったな。

そんなこんなで二年前から音楽をようやく聴き始めた人の音楽記こと『耳と音楽』その3です。


前記事『完結の時点』の話

この記事と同時に5月18日に書いた『完結の時点』という記事を今更出した(記事自体は『5月18日』で公開したように装っているけどの実際に公開したのはこの記事と同じ6月3日)。

何故今更公開したのかというと、その記事を書いた最後に「でも結局ここから小説に戻るのかもしれないし、全部気のせいなのかもしれねえ」と少し思ってしまっていたから。完結の時点からとりあえず一旦どこにいくのか指針が分かってからじゃないと公開できないなと感じてた。指針が一応決まったみたいなのでこの度『完結の時点』を公開することになった。完全に自分の内心の時系列みたいな話なのでこの説明は自己満。


耳と音楽 その3

ついになぜだか音楽を作り始めた。自分でも毎日思うが嘘だろ。

まだ何にも完成に至ってないし、小説で言うなら曖昧なプロットができてプロローグが書き終わったくらいのものでしかない。しかしどうやら音楽を作り始めた。何か作ってないと気が済まんのか。多分そう。

ピアノを数年習っていたけど絶対音感はないし、クラシックはたまーーーーーーに聞いていたことはあるにはあった程度で、しかも二年前からようやく音楽をそれなりに聴き始めた奴が音楽を作るなんて何だか本当現代科学万歳。ピアノ叩いて楽譜に音符を記す時代じゃなくて良かった。


音楽を作ろうが絵を描こうが小説を書こうが結局は一人の人間がやっていることだし、恐らく小説辺りに作風が似てくるんだろうな……鬱々ファンタジーか、と思っていたら、自分の作った音楽の構成は自分の書いてた演劇の台本に似ていることに気付いた。

自分の作った音楽と台本と小説と絵を同時に全て知る人がいないので完全な自己評価でしかないんだけど、自分の音楽の構成って自分の台本のの構成に似るんだな。面白いのな。

あとありきたりな感想にはなるんだけど、音楽作ってて改めて音楽作ってる人ってすげ~のな、と思った。たった数分の為に何十時間もかけて音を合わせて構成してなんか色々して、マジですげー。感動。そんな、見たり読んだり聞いたりしてもらう一瞬の為にその数倍数十倍数百倍の時間をかけるのって絵でも小説でも音楽でも変わらないんだな……みたいなことも感じた。

どっかの誰かの名言か本か何かで本来のニュアンスとはかなり違うような気もするけど「他者にとっての一瞬でも、あなたの中でそれは永遠になる」みたいな(多分元はもうちょいスマートな言い回し)があったけどまさにそれでは。

誰かの中で永遠になりたいのかと問われると即答しづらいが、恐らく自分もそれに近い何かで動いているのかもしれない。それこそが救済の次の創作の目的なのかもしれない。知らんけど。これは今考えたので多分適当なこと言ってる。


それとさっき引用した「他者にとっての一瞬でも、あなたの中でそれは永遠になる」みたいなやつをどこで見たのかここまで書いてようやく思い出した。『生存者ゼロ(作 安生正)』のラスト部分の廻田と富樫の会話の中で出てきたやつだ、確か。実は最初に読んだ時はあんまりだったけど再読した時に感動した覚えがある。今読んだら自分からどんな感想が出るんだろうな。近いうちにまた再読する。本の記事も書きたいし。


『耳と音楽 その4』も出たらいいね

作ってる音楽のデモもこのサイトの司書室辺りでいつか出せたらいいな。耳と音楽と、それから創作と、これからどうなるんだろうな。な~んも分かんねえ。