花の供え方を知らない

「ねえハシノ。あなたって鼻から火を吹けるの?」

 私は物語的に物事を理解する能力が誰よりも圧倒的に優れていた。

 その人の性格とある事実を組み合わせて、どこで何がどうなってある結果が生まれたか、頭の中でその過程を再現できる。

 だから大半の人が「何でそんなことになったんだ!」とぴーぴー喚くようなことがあっても、私はすぐに納得する事が出来たりもした。頭の中で全部、過程を再現できるから。

 要するに、私は物事をすぐに飲み込むことができる。

 世の中の大半を占める馬鹿が、特定の結果に納得せずああだこうだと文句を言うのは、その結果に至るまでの過程を知らないか、あるいは理解しようとしないから。

 私は誰よりも物語的に物事を理解できる。

 誰よりも目の前の結果に至るまでの過程を忠実に頭の中で再現できる。

 数日前にダミオアが死んだ。

 でも普段は人を馬鹿にしているダミオアが、小さな子どもを庇ってあっけなく死んだことにも私は大して驚かなかった。

 だって私は天才だから。

「ねえ、ハシノ」

 私の隣で静かに泣いている彼女──ハシノに声をかけたが返事がない。ダミオアみたいに死んでないんだから返事してと言いかけたところで、さすがに不謹慎だと気付いてやめた。

 不謹慎は慎む。そう、不謹慎は慎むべきだ。

私は天才だから、言いたい事もぐっとこらえるんだ。さすが私こと天才、気遣いが出来る。

 隣で泣いていたハシノは、手に持っていたハンカチでその涙を上品に拭った。

「なに」

 温度のない声。

 こいつでも泣くんだ。

 私は気になっていたことを聞いた。

「あなたって、鼻から火を吹けるの?」

 言ってから、これは葬式の場で言うことじゃなかったと気付いてしまった。

 「不謹慎だ」と怒られるだろうなあと思っていたらハシノは案外答えてくれた。

「吹けるわよ、当たり前でしょ。炎使いを何だと思ってるの」

 言葉面だけはいつも通りだが、やはり温度のない声。いつもの鬱陶しさがない。

「じゃあ、吹いてみてよ。鼻から吹いた火で火葬すればダミオアも喜ぶでしょ」

 私が言うと、ハシノはブハっとそれはもう鼻から火を吹くみたいに笑った。

 葬式で何を笑ってるんだ、不謹慎だぞ。

「嫌でしょ、そんなことされたら」

 必死に笑いをこらえつつハシノはそう言った。

「……私なら大喜びする。私が死んだならハシノが鼻から吹いた火で火葬されたい」

「ダミオアの葬式なのに何で自分の火葬のこと考えてんのよ」

 ハシノは先程まで目元を押さえていたハンカチで、今度は口元を覆った。

 私は大真面目だ。

 ダミオアは人間だ。

 人間だから死んだ。

 私は人間だ。

 つまり私もそのうち死ぬ。

 だから私が私の葬式のことを考えるのは何ら可笑しな話ではないんだ。私だってハシノだって、そのうち死ぬんだから。

「じゃあハシノは、どんな葬式が良いの?」

「あなたが私の火で火葬を望むなら、じゃあ私は水葬してもらおうかしら」

「ハシノが鼻から火を吹くなら、私も鼻から水を出さなきゃいけないんだけど」

「良いじゃないそれで、お互いさまね」

「鼻から水って、それただの鼻水だけど良いの?」

 私が言い返すとハシノはより一層肩を震わせた。必死にこらえつつ「もう無理」と言って途中で葬式の会場を出て行った。

 それを少し目で追ったあと、私は部屋の中央にある棺桶を見た。

 ダミオアは熱心に宗教を信仰するタイプではなかったからか、葬式というよりここはお別れ会に近かった。

 棺桶の近くの机上にお花が乱雑に並べられていて、その花を部屋の中央にある棺桶に入れていくという形式。花を棺桶の中に添える際に何か一言言ったり、手紙を添えたりとか。

 棺桶の周りには丁寧に椅子が並べられていて、私はそのうちの一つに座っている。

 花を供える気にはならなかった。

 手紙を添えるのは恥ずかしいから出来ないし、一言言うのもなんだか恥ずかしい。無理。

 一言って何?ありがとうとか?

 私は天才だからむしろダミオアに感謝される方なんだけどな……。

 ずうっと、ぼーっと座ってみんなが泣いては花を添えて何かを言っている光景を延々と見ている。

 私は知っているんだ。

 今はなんとなくダミオアが死んだことが悲しかったとしても、数週間後には別に今ほど悲しくなくなっていて、数カ月もすればみんなの会話の中で普通にダミオアの名前が出てくることを。

 後のことを思えば別に悲しくもなんとも無くなってくる。

 むしろここでやたらと悲しまないほうが誠実なんじゃないかとさえ思う。

 葬式なんて馬鹿馬鹿しい。だったら炎使いのハシノが鼻から火を吹いて火葬したほうが最高に面白いと思う。

 ダミオアはこんな、しんみりした葬式もどきは気に入らないだろう。

 椅子に座ったまま少し遠くの棺桶を眺めていると、また一人花を供えて何か言ってる奴がいた。

 よく知ってる顔だった。ハシノではない、また別の知り合い。

 あんなに泣くんだ、意外。でもあいつなら泣くか。

 どうしてこんな急に死んだんだ、と声が聞こえた。

 ああ、納得できないからあんなに泣いているのか。

私はダミオアの行動が頭の中で、それこそ物語的に理解できてしまったから納得してしまっている。だから半端に悲しめない。

 嗚咽まじりの声が会場内にわずかに響く。

 どうして死んだんだ、ぼくとまた一緒に遊ぼうって約束したのに、寝てんじゃないぞ馬鹿、馬鹿、馬鹿。

 その声を聞いてつられて泣く声もした。悲しいよな、悲しいよな、とその声を慰める、また別の声。

 少しして会場を出ていたハシノが戻って来た。ハシノは私の顔を見て火葬のことを思い出したのか一瞬変な声で笑ったあと、咳払いして誤魔化す。

「ただいま」

「おかえりなさい。意外と早いのね、戻って来るの」

「葬式で鼻から火を吹くのを提案する奴を一人にするにはマズいと思って」

「失礼ね。私だって大人しくできるし」

 天才を何だと思ってる。天才はそこそこ空気を読めるんだ。

 ハシノは手に持っていたハンカチを鞄の中に仕舞い、私を見た。

 目が合った。あ、真面目な顔だ。目なんか合わせるんじゃなかった。

 奥側、深淵、頭の中を見るみたいに、深く。深くハシノは私の目を覗き込む。

 真面目な話をする時のハシノの癖。覗き込まれる、どこまでも、深く。

 ああ、この覗かれるような感じが嫌なんだ、でも逸らしたら負けだ。

 ハシノの赤い瞳が私を見る。覗き込まれる。

「ねえ、そろそろ私たちも花を供えに行きましょ」

 ハシノの提案。

 私はゆっくり目を逸らして「えー」と小さく言う。抵抗だった。別に、花を供えたくらいで何も変わらないんだろう。

今日だってハシノに言われて渋々付いてきた。本当だったら研究所に籠って研究してた。

 わざわざ黒い、似合いもしないワンピースを買って着てるだけじゃ駄目なのか?

 別に、そのうち悲しくもなんとも無くなって普通にダミオアの話題が出てきたりするだろうに。

 なんで。

「別に、そこまでは良いっていうか……」

 精一杯抵抗したし、ハシノはこれで諦めてくれると思っていた。

 しかしハシノは私の手を取って、立つように促してきた。

「行くわよ」

 手を振り払う気にはなれなくて、ハシノに連れられるまま私は棺桶の前に立った。近くの机からハシノが花を二輪持ってきて、そのうち一輪を渡された。

 ハシノは私の隣で静かな手つきでダミオアの顔の近くに花を添えた。それから何か、祈りの言葉のようなものを呟いて、それから少し泣いていた。

 私は、これであってるのかな、と全然関係ないことを考えて花を供えた。花を供えたが花の向きが変じゃなかったかとか、そんなことばっかり気になっていた。水色の花の横に赤の花なんか添えて、良かったっけ?彩りが最悪?どうだろう。

 でも一回入れたものを取り出して入れ直すのも変?

 ハシノが私の横から「先に席に戻ってる」と言ってきた。私がダミオアに一言言うために気遣ってくれたことは分かった。

 でも結局何を言えば良いのか分からなくて、とりあえず十五秒数えた。こうすればハシノに何も悟られないだろう。

 私はダミオアに何も言わない。

ダミオアももちろん何も言わなかった。だってダミオアはもう死んでるから。

十五秒を数え終わって私は席に戻った。

 歩き方とか変じゃないかなと、やっぱりそんなことが気になりながら私はハシノの横の席に戻った。戻る途中、赤毛の女の人とぶつかりそうになった。それを避けて席に戻る。ハシノはまたハンカチで涙を拭っていた。

 私は最後まで泣かなかった。

 誰かが葬式会場で泣きじゃくっていようと、横でハシノが泣いていようと。

 私はダミオアがどうして子どもを庇ったのか分かる。いざという時にそういう行動をする人間だと分かってるから、私はきっとすんなりダミオアの死を受け入れられた。

 今回で葬式のマナーがなんとなくわかった気がするから次からはちゃんと悲しむ余裕ができるかなと、やっぱりそんなことを考えていた。

 ダミオアが生きているなら今の私に何と言っただろう。

 『薄情者』とかだろうか。

 全くもってその通りだし、私は何とも言えない。

 ダミオアの葬式の帰り道、私は不思議と棺桶に花を添えたことばかり反芻していた。

 帰り道でようやく、あそこで花を供えてなかったらずうっと後悔してただろうなとそんなことに気付いた。


×××


 別に私は翌日になっても泣いてはいなかった。

 昨晩も大体いつも通りに寝たし、朝も普通に起きた。

 ダミオアが死んで少し悲しくはあるが、それは研究が上手くいかなくてむしゃくしゃするよりは軽い感情だ。

 昨日は帰りに自分の研究所に寄ってそこで葬式の為に買った黒い服を脱いで着替えて帰った。

今朝、研究所に来てその脱ぎ捨てたまんまの黒い服を見てようやく「ああ、昨日ダミオアの葬式に行ったんだっけ」と思い出したくらい。

 黒い服。ハシノに言われて急いで買った服。

 買ったばかりだし捨てない方が良いかな。服はそのままに、私は研究所内のいつもの部屋へと向かう。

 研究所。私が軍人だったころに稼いだお金とみんなで稼いだお金を合わせて建てた研究所。六割くらいは私のスペースで残りは他のみんなのスペース。

ハシノの衣装部屋もある。持っている服が自分の借りてるアパートに入りきらないらしく、研究所を立てる時にハシノは研究所内に衣装部屋を作って欲しいと頼んできた。

 私が研究所を作りたいと言って一番に賛成してくれたのがハシノで、諸々の手続きを済ませてくれたのもハシノだった。だからハシノの為に衣装部屋を作るのはそんなに嫌じゃなかった。私にしては珍しいことに。

 ハシノの衣装部屋だけじゃない、他の奴らの我儘でトレーニングルームがあったりバーカウンターがあったりする、変な研究所。先日死んだダミオアは、研究所を建てる際に防音のダンスホールを作って欲しいという我儘を言ったので研究所の中にはダンスホールもある。

 いくつかある自分の研究室のうち一つへ行く途中でダンスホールの横を通った。ダンスホールに入る気はなかった。ダンスホールはダミオアのものだ。私はダミオアみたいにそこで踊ったりもしない。必要のない部屋には入らない。

 ダンスホールを通り過ぎ、研究室に入ってそこで二時間籠って作業をした。誰にも理解されない、私だけの研究。

 ハシノは私が何の研究をしているのかを知らない。今はハシノにだったら何を研究しているか教えなくもないけど、私が「あなたなんかには何も分からないでしょ」と言って以来、ハシノは研究について何も尋ねて来なくなった。

 二時間くらいたった頃、研究室に来客があった。ハシノだった。

 ハシノは何回かノックをしたらしいが私はしばらく気付かなかった。何回目かで私が気付くまでハシノは律儀にずっとノックをして外で待ってくれていた。私なら最初のノックで返事が無かったら諦めるか怒って部屋の中に飛び込むのに、変な奴。

 研究室の扉を開けると普段通りのハシノが立っていた。

 お洒落っぽい格好に、整った金髪。私にはファッションが分からないから『お洒落』という言葉以外に何も思いつかないが、とりあえず『お洒落』なことは確かだ。凝ったデザインの服に、良い感じに配置されたネックレスとかなんか、小物も色々。

長い指を包む薄い手袋。それだってお洒落。靴まで綺麗。

 ハシノは薄い手袋に包まれたその片手に私が脱ぎ散らかしたままにしていたはずの黒い服を持っていた。

「服はどうしろって教えた?」

 ハシノの質問。細かいなあ。

「とりあえずハンガーにかけろ、だっけ」

「そう。分かってるならちゃんと仕舞いなさい」

 私はハシノに手を引かれ、ハシノの衣装部屋へと連れられた。ハシノの服がほとんどだけど私が研究所の中で脱ぎ散らかした私の服も何着か置かれてる。

 ハンガーに服をかけてこれでお説教は終わりかと思ったら私はまた別の部屋に連れていかれた。

 今度はみんなの共同のキッチン。研究所に籠れるように生活できるだけのものはそろえてある。

 ハシノがいつもは私に飲ませてくれないハシノ専用の高い紅茶を淹れてくれた。

 私には分からない、高そうな味がした。食べ物にも頓着しないから分からないが、普段飲む紅茶とは深みみたいなものが違う気がする。

 これが高級な味か。急に勿体ない気がして、私はやたらとチマチマそれを飲む。

「ねえ、シュリエラ」

 とハシノが私の名前を呼んだ。

 シュリエラ。私の名前。

「なに、ハシノ」

「ダミオアのダンスホールとか、どうするの」

 深刻そうな顔で聞いたきたかと思えばそんな質問だった。

 お説教ではなかったみたい。

「別に、何もしないけど?」

 迷いなく答えるとハシノは「あー」と苛立ち半分、呆れ半分で何かを嘆いた。

 ハシノが踊るところなんて想像できないけど、ダンスホールを使いたいんだろうか?

「……ダミオアの物を片付けたりだとか、そういうことはしないの?」

「した方が良い?」

「そうじゃなくて……」

「なに?馬鹿だから言いたい事が言葉に出来ないの?」

 遠回しに何か言いたいんだろうけれど私にはそれが理解できない。何を迷ってる?

 ダミオアの部屋なんてそのままで良いのに。

 挑発したらいつも通り怒ってストレートに言い換えてくれるかと思ったが今日は違った。

 大きくため息をついて「どうかしてる」と小さく呟いたあと、ハシノは言った。

「あなたがそれでいいというなら、ダミオアの部屋については今はいいわ。あなたの研究所だものね、あなたの意思に沿うべきだわ。まあ、片付けたくなったら私を呼んで。手伝うから……」

 ハシノはそこまで言って、お高そうな紅茶を飲んだ。高そうな薄い白いティーカップが良く似合っていた。ハシノの所作の美しさは割と最近になって気付いた。

 たまにこっそりそれを追うのが好きだ。

ハシノの所作の美しさに気付けたのは半分は私が天才だから。

残りの半分はハシノのおかげだと思ってあげている。軍艦に引きこもっていた私を連れ出してくれたのがハシノ。ハシノがいなかったら私は研究所にダンスホールとか衣装部屋を作ったりすることなんて絶対に許せなかったし、葬式のマナーもずっと分からないままだった。

 まあ、どれもこれも私が天才だというのも大きいと思う。

「ところでハシノ、今日は何の用でここまで来たの?珍しく私に高い紅茶を飲ませてあげようって気になっただけ?いつも絶対に勝手に飲むなって言うのに」

「……塗り薬を貰いに来ただけ」

「薬?……ああ、火傷の」

 ハシノは炎使いだけれどその扱い方が下手なのでよく自分が出した炎で火傷している。特に手のひら。カッとなった時に温度の調整が出来ずに熱すぎる炎を生み出してしまうとかなんとか。

 私は優しくて天才なので研究の傍ら、ハシノのために火傷の薬を作っている。

 作ってどこに置いたっけ。第三十二研究室に置いてたような。

「それとも、まだ今回の分は出来てない?」

「出来てるわ。……あ、でもちょっと改良して色々入れたから塗って気分が悪くなったのならすぐ言って」

「色々って」

「画期的な材料を入れたってこと」

「……まあ、信頼してるわ」

 ハシノは怪訝そうにしていたが追及はもうなかった。

「自分の出す炎で火傷するなんて、ハシノは馬鹿ね」

「そう言うあなたは水使いなのに泳げないんでしょ」

「でも私は上手く水を使えるから泳げなくても平気なの」

「そうだったわね」

 ハシノはそう言ったあと、紅茶を飲みほした。私は変わらずチマチマ飲んでいた。飲んでいる途中でハシノが私を待っていることに気付いて、すぐに飲み干した。

 最後は茶葉の苦い味がしたような気がした。

 私が紅茶を飲み終えると、ハシノは二つのティーカップを持ってそれを火傷だらけの手で洗ってくれた。私が薬を渡す前は、ハシノは火傷がひどくて水には触れられなかった。

 最初は私の薬を疑っていた癖にすごく褒めるようになったのも水が触れられるようになったがきっかけだったような。

 ハシノの塗り薬を取りに行こうと立ったところで「そういえば」とハシノが言った。

「……そういえば、なに?」

「昨日のダミオアのお葬式のことだけど、無理に連れて行って悪かったわね」

 ああ、ハシノは無理に私を連れ出すと決まって次の日くらいに謝ってくるんだ。軍艦に引き籠ってた私を連れだした時も、確か一週間後に謝って来た。

「別に気にしてない。本当に嫌だったらハシノを海に沈めてでも抵抗するし。ついて行ったのは私の意思」

 本当に嫌なら私はハシノを本気で海に沈める。私は水使いだから誰かを海に沈めるくらい造作もない。それこそ生きたまま水葬してやる。

 海に沈めるほどのことではないが、こうやってハシノが後から謝ってくるのは好きじゃない。馬鹿みたいだ。どうしてあとから後悔して謝ってくるのか。

馬鹿だから自分の行動に自信がないのかな。それなら仕方ないか。私は天才だけどハシノはそうじゃないんだから。

「気にしてないなら良かったわ。……今度は、どこか楽しい場所にでも一緒に行きましょう」

 ハシノの提案。私は出かける気もなくて「えー」と軽く漏らしてしまったが、ハシノは特に怒らずちょっと笑っただけだった。

ハシノのこういう所は嫌いじゃない。私がハシノの提案を蹴っても別に怒らないところ。

「私、研究所にいるのが一番楽しいんだけど」

「四年前は軍艦にいるのが一番楽しいって言ってたわよ」

「あ……そうだっけ」

「覚えてないの?」

 記憶にない。そんなこと言ったっけ?

 軍艦なんて、あんな味気なくて別に面白くもないところ。

「ハシノの記憶違いじゃない?」

「記憶違いなんかじゃないわよ。軍艦が最高だって言っていたの、今も覚えてるわ」

「どうでも良いこと覚えてるのね」

「どうでも良いことなんかじゃないわ」

「変なの」

 そんなどうでも良いことばっかり覚えているからハシノは馬鹿なんじゃないのか。

 私は四年前のことなんて、何を覚えているだろう。

 何の研究をしていた頃かは覚えているが、ハシノと話したことはそこまで覚えていない。今も昔も変わらず、ハシノが変な奴だってことくらいしか覚えていない。

 変な奴。

 炎使いの癖に自分の出した炎で火傷して。お洒落で動作がいちいち綺麗で、別に優しくもないけどすぐに怒ったりはしない変な奴。

「ねえシュリエラ」

「なに、ハシノ」

「ダミオアが亡くなって、悲しくないの」

「別に、そんなに」

 私が答えるとハシノは小さく「そう」と途端に感情のない声で返事をした。

 ハシノが何を思っていたのか、私は知らない。

 期待していたようで残念がってそうな声で……まあ、どうでもいいか、興味ない。

 私は天才で、誰の行動もきっかけさえあれば物語的にその行動原理を追従できるが、だからといって何に対してもそれをするということはない。

 ハシノが何を思っているかなんて興味ない。

 でも、そんなにダミオアが死んだことが気になるなら。

「……研究所の中庭に墓でも作る?」

 これは半分冗談のつもりだったが、ハシノが「本当に?」と聞いてきたものだから私は「本当よ」と見栄を張った。

 私は中庭に墓を作っても許してあげられる心の広さを見せつけたいだけだった。どうだ私は心が広いだろ、すごいだろ。

 ハシノはもう一度「本当に?」と聞いてきた。私は「当たり前でしょ」と自信満々に答えた。

 ハシノは何をそんなに気にしているのだろう。

 たかが、墓で。

 墓も葬式も大して変わらないものなのに。

 ハシノはティーカップを洗っていた火傷だらけの手を拭いて、そして私に近づいてきた。何か怒られるんだろうかと黙って待っていると、ハシノは急に私を抱きしめた。ハシノは小さく「よかったぁ」と呟いていた。

 いつも服を片付けろだの、葬式について来いだの細かくねちねち言う時とは全然違う優しい表情。その表情をそのまま表すかのようにハシノは温かかった。抱きしめられて伝わってくる体温。

人は死んだら、これが二度となくなる。

 私はダミオアが死んだことが今更、少しだけ悲しくなった。

 ああそっか、そっか、そっか。

 そうか、だからハシノは。

 だからハシノは、私に。

 ……ハシノは「ほんとうに、良かった」ともう一度呟いた。私は何も言わなかったし、泣かなかった。

 ありがとうを言うのも嫌で、後になって今日のことをハシノと二人で思い出して話し合うのも多分ちょっと嫌で出来ない。

 だから天才みたいな脳味噌を振り絞って、何でもないみたいに私は言った。

「ダミオアの墓を作ったら、花の供え方、教えてよ」

 ハシノは「それくらい幾らでも教えるわよ」と言ったあと、くすくす笑ってこう言った。

「……シュリエラ。あなた、葬式の時も花の供え方わかってなかったでしょ」