senkyo

 タイトルの「senkyo」は「占拠」でも「船渠」でもなく「選挙」。

 この記事は特定の何かしらに対する言及は特になく、ただ以前の私に今の私がほっとして終わるだけの短い記事です。語弊を恐れずに言うならこの記事はただの自慢。


 つい一週間前に選挙がありましたね。

 選挙の何日か前、特に何か目的があったわけでもないけれど、自分が過去書いた小説を読み返していたら、10代のときに書いた小説に「誰かを罰したことで、排除したことで、社会は良くならない」と書いていて、私は本当に心底、マジでほっとした。

 作者の考えと小説で描写され辿り着く、ある特定の考え(もとい、結論)は往々にして別物であるように、自分の小説すべてがイコールで私自身の政治的意思を表明しているわけでは全くない(そもそも私はファンタジーしか書かない)。私が書く小説と私自身は、私がその小説の作者であるという以上のつながりは全くない。全くないけれど、上の文言については、私がそれを書いたことに私が私に心底マジでほっとしたし、それを書いたころの私を誇りにすら思う。 

 何もよくならねえよな、分かるよ。

 この記事は内容としては以上。

 

注釈

 最後にはなりましたがこの記事にて、特定の何かに何かを申したいわけではないといったらうそになるような気はするけれど、この記事は脳内熟議の一角であって攻撃ではありませんということを述べておきます。私が単に、大したことのない脳みそで、そう思った / 感じたという話であるだけ。こんな情けねえ注釈したくねえけど~~~~~~~~~。


 ウィンストン・チャーチルの「選挙とはいまの世の中の状況で、ろくでなしのなかから誰に税金を分配させたら相対的にマシになりそうか消去法で選ぶ行為のことだ」というやつ、ほんまにそのとおりよな、と思う。「相対的にマシ」が何なのかという話よな。